苦しい経験だー、とか、鬱になるー、って言ったら母親に怒られました。
甘ったれてるだけですね、私は。
今は弱音を吐きたいだけなんですよ。ほんの少しね。
本当はいっぱい吐き出して聞いて欲しいけど、いろいろと分かってしまったから、それはできないんです。
苦しいなー、うん。
学校っていう集団生活は私にとって息苦しいだけですよ。
だって、必ず集団にならないといけないから。
一人で行動してると、グループ作りの時に大変なんです。
去年それで苦労したから、今は集団で生活してますけど、今年は逆にその集団が災いしてます。
一人になっても集団でも、苦労するって・・・・・・、じゃあどうすればいいんでしょうね?
もうわかりませんよ。
今回の件は、甘くみていた私も悪いので今は反省してます。
母親と先生が言ってたんですけど、孤独を耐え抜いた人は強くなれるそうです。
本当の孤独は、いじめとかの孤独じゃないみたいで、よく分からないんですけど、とにかく経験してみようと思います。
小説のためにも。(笑)
明るく考えます。
「神様はその人に超えられない試練を与えたりしない」
だそうですから。
この言葉、私が今まで生きていく糧になっている言葉です。
辛いときはこの言葉を思い出して、甘えて泣きそうな自分を叱咤します。
なんだかんだ言って、自分は幸せだぞっ! 私は幸せだ!
って思えば、歩き出せます。
今回もこの言葉を思い出して、進みます。
・・・・・・大丈夫。君なら超えられるよ。
超えてみせますよ。待ってて下さい。
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学びとは何か、っていう話を思い出していました。
昨年度、倫理の先生が学校を去られる時に話していたことです。
学びとは、テストでいい点数を取るわけではなく、授業中に先生の話を黙々と聞くことでもなく、大学受験でいい学校に受かることでもない、そうおっしゃっていました。
勉強だけが、学びではない。
学びとは人生すべてが学びである。
この話を聞いたときに、すごく感動した覚えがあります。
あーそうなんだ、って思いました。
なんだろう、それに繋がる話として、現代文でやっている「水のない泳ぎ」という話があるのですが、その中の一文に「自分は勉強だかなんだか、棚を直すより大切だと言われていることをやっていたほうが良い」というものがありました。
続きに「そういうことの積み重ねは、必ず子供から重要な成長力を奪っていくだろう」ともありました。
勉強をやっていれば偉い、っていうことではないんですよね、つまり。
まるで勉強をやっていることがものすごく偉くて、だからといって他のことをすべて放り出していいこととは違う、そのことをこの文章はいいたいのではないかと思います。
だって、勉強がやたらできるのに、家事の初歩的なものができない人も実際にいますから。(苦笑)
お母さんやお父さんも勉強をやっていればいいと思うから、だから家事を手伝わせない。
家事を手伝うことをしないから、子供も家事ができない。そういう連鎖はあるのではないでしょうか。
私なんかもそういう人間の一部なんではないかと思います。
最近、勉強をやっていますけれど、勉強中に「洗濯物干して」とか言われると正直腹が立つものです。
「今、勉強やってるんだから、後にしてよっ!」なんて叫びますと、「それは違うでしょう」って母に諭されます。
勉強をやっていると偉い、そんな観念が私の中を付き纏っていて、だからやっている私も偉い。偉いことをしているのに、どうして家事なんかやらなければならないんだろう、って頭の奥底で考えているんだと思います。
考えてみれば、そんなことは傲慢でしかないですし、実際に傲慢だと思います。
ずっと上位の成績を取り続けた人になりがちなのは、傲慢です。だって、勉強ができることは偉いから、知識はあっても理屈をこねて精神的にせまい考えしかできないからです。
ずっと下位の成績を取り続けた人になりがちなのは、自分に対する卑下、または諦めて現実逃避に走りやい。
今になって考えて、ものすごく恥ずかしかったなっていうことがあるんです。
中学時代、勉強をさぼってた時の口癖です。
「勉強なんか、やるわけないじゃん。テスト勉強? はあ? 何それ。やらないに決まってるじゃん」
たしかに、勉強だけがすべてではないけれど、だからといって勉強をやらなくていい、というわけでもないんですよね。
こういうのも口癖でした。
「テスト前だとなぜだか知らないけど、小説のネタが浮かんで筆が進むんだよね」
もはや、思い出すだけで失笑です。
なんて恥ずかしい発言をしていたんだろうか、私は、と。
幼かったんです。
その時から勉強だけがすべてではない、勉強をやっていてもばかなヤツはいる、と思っていたんですが、その思考にだけ囚われて、大事なことを忘れていたんです。
だから、こうして現在苦労しています。
苦労しますよ、絶対に。
さぼっているときは苦労しないんです。なぜって、その重要性に気付いていないから。
気付いたときに苦労して、自分がばかだったと後悔する。
ときどき、以前の私と同じ人を見かけます。
まあそんな時は、相槌を打って「そっか」としか言えないんですが・・・・・・。
この話をしましたら、ある方は、
「君が今そう思っていることを、君が以前発言していた時に聞いた誰かは今の君と同じことを思ったんだろうね」
と。
「ええ、そう考えると恥ずかしいことです」
そう返して起きましたが、本当に恥ずかしいです。
「かと言って、自己嫌悪に陥るのも違いますよね。そんな時間があったら、前に進もうとする意思が大事なんだと、私は思います」
そんなことを続けて言いました。
「そうそう。まさに君が言ったとおりだよ」と返されました。
うん、こういうことを言われるとプラス思考に働きますよね。だから、頑張っていたりするんですが。
とりあえず、もしも以前の私と同じような人がこのブログを見ているなら、やめたほうがいいですよ。後悔しますから。
後悔するときが一番、悲しい。
もしかしたら、こういうのを見て腹が立つ人もいらっしゃるかもしれませんけれど。
伝わったら嬉しいです。
昨年度、倫理の先生が学校を去られる時に話していたことです。
学びとは、テストでいい点数を取るわけではなく、授業中に先生の話を黙々と聞くことでもなく、大学受験でいい学校に受かることでもない、そうおっしゃっていました。
勉強だけが、学びではない。
学びとは人生すべてが学びである。
この話を聞いたときに、すごく感動した覚えがあります。
あーそうなんだ、って思いました。
なんだろう、それに繋がる話として、現代文でやっている「水のない泳ぎ」という話があるのですが、その中の一文に「自分は勉強だかなんだか、棚を直すより大切だと言われていることをやっていたほうが良い」というものがありました。
続きに「そういうことの積み重ねは、必ず子供から重要な成長力を奪っていくだろう」ともありました。
勉強をやっていれば偉い、っていうことではないんですよね、つまり。
まるで勉強をやっていることがものすごく偉くて、だからといって他のことをすべて放り出していいこととは違う、そのことをこの文章はいいたいのではないかと思います。
だって、勉強がやたらできるのに、家事の初歩的なものができない人も実際にいますから。(苦笑)
お母さんやお父さんも勉強をやっていればいいと思うから、だから家事を手伝わせない。
家事を手伝うことをしないから、子供も家事ができない。そういう連鎖はあるのではないでしょうか。
私なんかもそういう人間の一部なんではないかと思います。
最近、勉強をやっていますけれど、勉強中に「洗濯物干して」とか言われると正直腹が立つものです。
「今、勉強やってるんだから、後にしてよっ!」なんて叫びますと、「それは違うでしょう」って母に諭されます。
勉強をやっていると偉い、そんな観念が私の中を付き纏っていて、だからやっている私も偉い。偉いことをしているのに、どうして家事なんかやらなければならないんだろう、って頭の奥底で考えているんだと思います。
考えてみれば、そんなことは傲慢でしかないですし、実際に傲慢だと思います。
ずっと上位の成績を取り続けた人になりがちなのは、傲慢です。だって、勉強ができることは偉いから、知識はあっても理屈をこねて精神的にせまい考えしかできないからです。
ずっと下位の成績を取り続けた人になりがちなのは、自分に対する卑下、または諦めて現実逃避に走りやい。
今になって考えて、ものすごく恥ずかしかったなっていうことがあるんです。
中学時代、勉強をさぼってた時の口癖です。
「勉強なんか、やるわけないじゃん。テスト勉強? はあ? 何それ。やらないに決まってるじゃん」
たしかに、勉強だけがすべてではないけれど、だからといって勉強をやらなくていい、というわけでもないんですよね。
こういうのも口癖でした。
「テスト前だとなぜだか知らないけど、小説のネタが浮かんで筆が進むんだよね」
もはや、思い出すだけで失笑です。
なんて恥ずかしい発言をしていたんだろうか、私は、と。
幼かったんです。
その時から勉強だけがすべてではない、勉強をやっていてもばかなヤツはいる、と思っていたんですが、その思考にだけ囚われて、大事なことを忘れていたんです。
だから、こうして現在苦労しています。
苦労しますよ、絶対に。
さぼっているときは苦労しないんです。なぜって、その重要性に気付いていないから。
気付いたときに苦労して、自分がばかだったと後悔する。
ときどき、以前の私と同じ人を見かけます。
まあそんな時は、相槌を打って「そっか」としか言えないんですが・・・・・・。
この話をしましたら、ある方は、
「君が今そう思っていることを、君が以前発言していた時に聞いた誰かは今の君と同じことを思ったんだろうね」
と。
「ええ、そう考えると恥ずかしいことです」
そう返して起きましたが、本当に恥ずかしいです。
「かと言って、自己嫌悪に陥るのも違いますよね。そんな時間があったら、前に進もうとする意思が大事なんだと、私は思います」
そんなことを続けて言いました。
「そうそう。まさに君が言ったとおりだよ」と返されました。
うん、こういうことを言われるとプラス思考に働きますよね。だから、頑張っていたりするんですが。
とりあえず、もしも以前の私と同じような人がこのブログを見ているなら、やめたほうがいいですよ。後悔しますから。
後悔するときが一番、悲しい。
もしかしたら、こういうのを見て腹が立つ人もいらっしゃるかもしれませんけれど。
伝わったら嬉しいです。
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プロフィール
HN:
稿 累華
年齢:
34
HP:
性別:
女性
誕生日:
1990/10/06
職業:
大学生
趣味:
読書・執筆作業・芸術鑑賞
自己紹介:
現在都内の大学に通う大学一年生。一年の時点では教養課程なので専攻はないけど、二年になったら心理学コースに進む予定。
英語はそれなりに読んだり聞いたりして理解できるけど、喋るのはあまり得意ではなかったり。第二外国語ではフランス語、第三外国語ではラテン語を学習中。
将来的には作家になりたいので、創作の肥やしにするために色んなものを聞いたり見たり読んだりして経験値を増やそうと日々奮闘してます。
くわしいプロフィールは下のURLから。
http://pr2.cgiboy.com/S/2401908
英語はそれなりに読んだり聞いたりして理解できるけど、喋るのはあまり得意ではなかったり。第二外国語ではフランス語、第三外国語ではラテン語を学習中。
将来的には作家になりたいので、創作の肥やしにするために色んなものを聞いたり見たり読んだりして経験値を増やそうと日々奮闘してます。
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